ばぁちゃんと眠った夜――変わっていく景色、変わらないぬくもり

家族

ばぁちゃんと眠った夜――変わっていく景色、変わらないぬくもり

小学校に上がったばかりの頃だったと思う。夜になると、いつもばぁちゃんと布団を並べて寝ていた。畳の匂いと、干したばかりの布団の温かさ。外では虫の声がして、風が障子を少し揺らしていた。ばぁちゃんの背中越しに聞こえる小さないびきが、何よりも安心だった。

そんなある夜のこと、ひどく怖い夢を見た。夢の中で、ばぁちゃんが「背中がかゆい」と言うので、子どもなりに優しくかいてあげた。すると、指先に伝わってきた感触が、いつもと違った。ふと見ると、ばぁちゃんの背中が鱗のようになっていて、ぎょっとした瞬間に目が覚めた。

胸が苦しくなって、泣きながらばぁちゃんに話した。「夢だよ、もう寝なさい」と、ばぁちゃんは笑って頭をなでてくれたけれど、その夜はなかなか眠れなかった。

あの夢が何を意味していたのか、今でもわからない。けれど思えばあの頃の夢には、何か大人では見えない“別の世界”の気配があった気がする。子どもは、言葉よりも心で感じる生き物だ。あの夢も、ばぁちゃんがいつか遠くへ行ってしまうことを、幼い心がどこかで察していたのかもしれない。

失われた土手と、変わりゆくふるさと

夕方になると、近くの川の土手を兄弟やいとこたちと歩くのが日課だった。草のにおい、遠くで聞こえるカエルの声、沈んでいく夕陽。裸足で土を踏んだ感触まで、いまも鮮やかに思い出せる。

大人になってから、その風景がどれほど自分の中で大切なものだったかに気づいた。40年ぶりにふるさとへ帰ったとき、あの土手はもうなかった。川はコンクリートで固められ、街の輪郭もずいぶん変わっていた。見慣れた場所がなくなっているのに、どこか懐かしい風だけが残っていた。

最近では、そんな記憶を暮らしの中に少し取り戻したくて、寝室には落ち着いた和の照明や、香りの良いお香を置くようにしています。

昔の家のように“心が休まる夜”を、少しずつ作っています。

「時代」というのは、音を立てずに景色を塗り替えていく。けれど、不思議なことに、あの頃の自分はそのまま心の奥に生きている。ばぁちゃんと眠った夜も、土手を歩いた夕暮れも、今の自分の中で静かに息をしている。

孫の寝顔を見ながら

最近は、週末になると孫がやってくる。お気に入りの絵本を持ってきて、「これ読んで」とかみさんにせがむ。絵本を読み終えると、iPadで好きなゲーム動画を見て、ついつい見すぎてママに取り上げられる。泣いたかと思えば、すぐに笑って、眠りに落ちていく。

その寝顔を見ていると、ばぁちゃんと過ごしたあの夜がふと蘇る。自分も、あの頃はこんなふうに安心して眠っていたのだろう。布団の中で聞こえる家族の息づかい。その「ぬくもりの記憶」は、形を変えながらも、世代を超えて受け継がれているように思う。

今の子どもたちは、iPadの画面から世界を広げていく。けれど、画面の向こうの光よりも、隣で本を読んでくれる人の声のほうが、きっと長く心に残る。そんな当たり前のことを、孫の寝顔を見ながら思うのです。

 

変わっていくもの、変わらないもの

時は流れ、街も人も姿を変えていく。けれど、人が安心して眠れる夜を求める気持ちは、どの時代も変わらない。ばぁちゃんがくれたあの優しい手のぬくもりが、今は孫の小さな背中へと続いている。

あの夢の中で見た“鱗の背中”――あれは恐ろしいものではなく、時を越えて命をつなぐ“記憶の証”だったのかもしれない。人は、誰かのぬくもりの中で生まれ、また次の誰かにその温かさを渡していく。

週末の夜、静かな部屋で孫の寝息を聞きながら、ふとそんなことを思う。過去と今が、そっと重なり合うような、やさしい時間。そしてまた、新しい朝がやってくる。

一日の終わりに心がほどけるような時間を過ごしたい――

週末になると、孫が遊びに来て、夕飯はいつも少し特別になります。
そんな時に活躍しているのが、BRUNOのホットプレート
家族で囲む食卓が一段とにぎやかになります。


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コメント

  1. 俺よ より:

    こんにちは

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