※このエッセイは、noteに掲載した内容の完全版です。
昔のブランコの思い出と、孫との時間をつなぐ小さな物語をお楽しみください。
小学校1年生の頃だったと思う。
放課後、仲良し3人で公園のブランコに並んで乗っていた。
「好きな子の名前、言おうぜ」――そんな他愛もない遊びをしていた。
今思えば、ませたガキだったなぁと思うけれど、あのとき口にした女の子の名前はいまだに覚えている。不思議なものだ。
ほかの二人は、照れ隠しなのか本当のことを言わず、冗談まじりに笑っていた。
結局、正直に言ったのは私だけで、それをからかわれたこともあった。
でも、不思議と嫌な気持ちは残っていない。むしろ、あの夕方の光景がどこか懐かしく、心の奥にやわらかく残っている。
今の子どもたちの「遊び方」
そんなことを思い出すのは、最近、孫がちょうど同じ小学1年生になったからだ。
でも、あの頃のように子どもたちだけで外に出て遊ぶ姿は、ほとんど見かけない。
今はだいたい親が付き添って、目を離さないようにしている。
時代が変わったというより、「安心のかたち」が変わったのだろう。
ちょっとわがままな孫との時間
うちの孫も、少し反抗期が始まったのか、わがままを言いたい放題。
自分の思い通りにならないと、癇癪を起こして泣きじゃくることもある。
そんな時は大変だけれど、つい甘やかしてしまう。
そのたびに娘――孫のママ――に叱られてしまうが、
そんな週末も、悪くないなと思う。
泣いて笑って、怒って甘えて。
孫を見ていると、昔の自分の姿が少し重なって見える。
あのブランコの上で揺れていた時間と、今のこの静かな午後が、
どこかでつながっているような気がする。
時間はめぐり、思いはつながっていく
孫を見ていると、ふと自分の子どもが小さかった頃のことも思い出す。
朝から晩まで走り回って、転んでは泣き、すぐに立ち上がってまた笑っていた。
その子が今や親になり、子どもを叱ったり抱きしめたりしている姿を見ると、
「ああ、ちゃんと時間はつながっているんだな」と思う。
子育ての最中は、毎日が嵐のようで、
そのひとつひとつが宝物になるなんて、当時は思いもしなかった。
だけど、今の私にとっては、そのすべてが懐かしく、
そして少し誇らしくもある。
小さな幸せを拾い集める日々
最近は、孫のわがままも笑って受け流せるようになった。
「まあ、これも成長の証拠だ」と思える。
昔の自分がそうだったように、誰もが通る道なんだろう。
公園のブランコを見かけると、
今もあの日の夕方の光景が浮かぶ。
風に揺れながら、ただ笑い合っていたあの時間。
あの頃の“好き”は、まだ何も知らない無垢な気持ちだったけれど、
今はそれを包み込むように、
家族を想う“やわらかな愛しさ”がある。
週末、孫と手をつないで歩く帰り道、
夕日が沈んでいく空を見上げながら、
「この子もいつか、ブランコの上で好きな子の名前を言う日が来るのかな」
なんて、心の中でそっとつぶやく。
それを想像するだけで、なんだかあたたかい。
そして、そんな日々を見守れることが、
今の私にとってのいちばんの幸せかもしれない。

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